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早稲田大学  間野教授との対談

人と人、人とモノ、社会と人…あらゆる関係性が再構築されつつある今後、キャリアのあり方も変わっていく。これから確実に到来するであろう、多くの人が複数の仕事や社会的役割を持つ「パラレルキャリア」の時代。福祉の環境に身を置きながら昨年、フォーミュラEにチャレンジした僕・山本左近もまた、その実践者の一人だ。今回はゲストとして早稲田大学スポーツ科学学術院教授の間野義之先生をお迎えして、アスリートのパラレルキャリアについて、お話をうかがっていく。

「この3年は、ある意味、神様から与えられたギフトかもしれませんね」(間野)

左近:僕は2011年にF1のテストドライバーの仕事を終え、2012年からさわらび会で福祉・医療の仕事を始めました。その間ほぼ丸3年、レースにかかわっていなかったのですが、昨年6月にロンドンで行われたフォーミュラEという電気自動車のレースに出場しました。アスリートがブランクを経て復帰するケースは多々あると思うのですが、スムーズに行くケースと行かないケースは、何が違いを分けるとお考えになりますか。

間野:やはり気持ちでしょうね。完全に引退してから再び始める場合、いったん気持ちが切れている分、相当な意識改革が必要。以前と同じレベルまで戻すのは非常に難しいと思います。でも左近さんの場合、もともと、レースから完全に引退したとはおっしゃっていませんでしたよね。

左近:はい。レースをいったん休止して、たまたま3年ほどやっていなかっただけで、いつか戻りたいという気持ちはずっとありました。

間野:気持ちがつながっていたことが、今回スムーズに復帰できた理由の一つでしょう。さわらび会のお仕事をされたこの3年は、ある意味、神様から与えられたギフトかもしれませんね。この間に福祉のことを学び、さまざまな経験をする中でご自分に与えられた使命を考え、山本左近さんとしてのレガシーを残すことを強く意識した。それがフォーミュラEという新たなカテゴリーだったわけです。この3年はブランクという解釈もできるけれど、未来に向けて精神的に成熟するための期間だった、とも考えられる。

左近:確かに、人間性の成長という面でこの3年は大きかったです。F1ドライバーになりたくてレースを子供のころに始め、がむしゃらにやってF1ドライバーになり、そこにはもっと激しい勝負の世界があって…という中、とにかく「勝ちたい」とばかり考えいた。レースだけを自分の人生の軸としていたので、日本に戻って医療・福祉の仕事をしていると、今まで見えていなかったことがたくさん見えてきましたね。レースをやっていた時はヨーロッパに住んでいたので、日本を外から見ることはあっても、中から見ることは少なかったですし。

間野:外からの目線と中からの目線。その両方で日本を見れる人はなかなかいませんよ。

左近:少子超高齢化が進む日本が、これからどうなっていくのか。そこには認知症や孤独死、老老介護といったものや、経済格差による貧困や保育難民などの社会課題があり、一人では状況をどうにもできない人が増えている。じゃあ今、自分がその人達にできることは何だろう。それを考え続けていた3年間でした。先生がおっしゃられたように、一人の人間として、自分として何をこれから未来に残していくのか。それを考えるきっかけになった3年間でした。

間野:この3年間はまったく無駄じゃなかった。むしろレーサーそして人間・山本左近の成長に、非常に貢献する3年間だったといえますね。もしレースを継続していたとしたら、今の考えには決して至らなかったでしょうし、ぜんぜん違うライフスタイルを選んでいたのではないでしょうか。

左近:そうですね。今はレースと社会福祉のパラレルキャリアができつつあります。もちろん比重でいえば社会福祉や医療の方が大きいですが、今もレースを継続できているのは僕の中ですごく意味があります。この二つはぜんぜん別のように見えますが、そこを融合させて新しいものを生み出していくのが、僕の役割ではないかと。レーサーでありながら社会福祉をやっている人なんて、世界で見てもほとんどいない。そういう自分ならではの部分を、極めていくべきだと思っています。

「アスリートは、自分の理想像を描き、逃げずに前に進んでいける存在」(左近)

左近:スポーツ界でパラレルキャリアを実践している人は、他にもいらっしゃるんですか。

間野:昨年10月にスポーツ庁が誕生し「デュアルキャリア」といって、現役時代から並行してキャリアやスキルを身につけよう、という方向性が生まれつつあります。過去には例えば中田英寿さんが税理士の資格を取ったようなケースがありましたが、現役選手でありながら他のキャリアを持っている人は限られています。

左近:やはり少ないんですね。

間野:日本の場合、コーチや監督が「よけいなことを考えずに競技に集中しろ」と言いがちです。そして副業をしたら「あいつは引退後のことを考えていて、競技に対して本気じゃない」とメンバーから外したりする。これはよくない。そんな状況だから、ある日突然引退した時に大変な思いをしてしまう。そういうことがないよう、例えばアメリカのオリンピック選手が医者や弁護士になったりするのと同じように、日本のアスリートもやっていこう、という雰囲気に、やっとなりつつあります。

左近:セカンドキャリアに関する日米の社会環境の違いで、最も大きいものは何でしょう。

間野:大学ですね。アメリカは何歳でも大学に入ることができる。でも日本の場合、大学は、高校を出て現役か一浪二浪で行くものです。終身雇用が前提としてあるので、キャリアはまっすぐの一本道。アメリカのように、複数の道を行ったり戻ったりはしにくいです。

左近:今後いろいろな人がパラレルキャリアを志向して、日本でも多様性を尊重する社会になっていくのではと思います。

間野:そうでしょうね。なぜなら日本のやり方は、人口増加社会であることが前提なんです。一本道で多少使えない人がいても、これまでは人口がどんどん増えていたので一部の有能な人がカバーできた。でも今後は人口が減少していきますので、国民が全員参加でそれぞれの能力をフルに発揮しなければならない時代に変わりつつある。一本道を行くだけではダメで、有能な人は複数分野で才能を発揮することを求められるし、一つの道でダメだった人は別の道に切り替えていかねばならない。まさしくさわらび会が唱えるように『みんなの力でみんなの幸せを』という方向に行かないと、この国はもたない。左近さんは、そういう意味で素晴らしいロールモデルだと思います。レーサーもたくさんいる、福祉に携わっている人もたくさんいる。でも、その両方を自分の考えとしてミックスさせ、両方で一流を目指している人はどこにもいない。きっと、多くの人に影響を与えることができるはず。

左近:人口が減り高齢化が進む中で、今までの社会価値や生き方は通用しなくなる。だから、僕らも変わらねばならない。変わることを怖がっていてはダメですね。レースに限らずアスリートで、トップレベルまで行く人はものすごく努力する。しかも、やみくもに努力をするのではなく、どうすれば目標を達成できるのかを考えることができる。自分の理想像を描き、それに対してステップを踏んでいく。その階段が例え急であっても、逃げずに前に進んでいける人間なのだと思います。だから、スポーツを辞めた後でも、スポーツをしている時でも、他のことを十分できるんです。もちろんスポーツで大成することも素晴らしいですが、もし他にやりたいことがあればやるべきです。

間野:社会が活性化していくなら、どんどんやってほしいですね。

「今、企業の中で、アスリートのあり方や役割が新たに広がりつつある」(間野)

左近:個人的にラッキーと思っているのが、まったく面識のなかった人にさわらび会の名刺を出し「実はもともとF1ドライバーでした」と話をすると、皆さんが驚いて下さることです。「どこかで聞いたことある名前だと思った」と面白がってもらえて、距離感が縮まる。我ながら、自分のキャリアを上手く有効活用できていると思います(笑)。

間野:実はそれ、優れたビジネス手法の一つなんですよ。昔、アメリカの女性スポーツ財団が行ったことなのですが、当時の女子のトッププロテニスプレイヤーやプロゴルファーが「夜のディナーの時間に無償でおつき合いします」というチャリティがありました。選手は時間を無償で出し、それを企業が買うわけですね。選手は企業の人について会食の場に行くと会話が盛り上がり、商談が成立する可能性も高くなる。つまり、トップアスリートが来ることに価値があるわけですね。話題のアスリートがいるだけで場の雰囲気が変わる。その機会をチャリティで提供して財団を運営しているんです。

左近:なるほど。

間野:日本の企業スポーツというと、以前は企業が選手を社員として抱え、チーム全体の面倒を見るものが主流でした。今もバレーボールやラグビーにそのスタイルは残っていますが、今はJOCがアスナビといって、企業で働きたいというアスリートと、そういう人を採用したい企業をマッチングさせ、アスリートが自己プレゼンをして採用してもらう、という取り組みを行っています。現在で60名ほど成功例があり、彼らの仕事の一つが営業や会食への帯同、あとは新人研修での講演などです。アスリートにはそれぐらい価値がある、ということ。経験に裏打ちされた言葉の重みが違う。そういった形で今、企業の中で、アスリートのあり方や役割が新たに広がりつつありますね。

左近:僕はこれまで、ビジネスをまったく知らずにレースをやってきて、F1ドライバーになりました。そして今は事業の世界に入り、PDCAサイクルを回していくことの大切さを知りました。でも振り返ると、これはレーサー時代にずっとやってきたこと。最終的な大きな目標があり、それを達成するための中期的な目標を一つ一つ乗り越えていく。まさに自分がずっとやってきたことでした。僕は12歳の時に「22歳でF1ドライバーになろう」と考え、そのためには21歳でこのレースを走る、20歳ではこのカテゴリーで戦う、というように、細かく考えてステップすべき階段を作り、そのためにはどうするかを検証し、具体的なアクションを重ねていった。結果として、2年ほどロスをして24歳でF1ドライバーになったのですが、ほぼ自分が思い描いていた階段を乗り越えてたどり着くことができた。これはまさにPDCAサイクルを回してきたからです。

間野:達成したい目標があり、それを達成するにはどうするかを考え続けたわけですね。

左近:そうですね。なぜ? なぜ? なぜ? と常に考え続けていました。そういう話を企業でアスリートの方にしていただくと、ビジネスとスポーツは一見まったく違うジャンルだけど、何かを達成する時の考え方や方法は同じだということを、わかってもらえると思います。もちろんテレビなどのマスメディアに出ることも大事ですが、小さなコミュニティにも出かけて行き、経験談を話すことで共感や感動を広げていくべきですね。そうすれば自然とスポーツ文化がもっと広がっていくし、アスリートの価値も高まる。正直、自分が現役の時にそれをやってこなかったのを反省しています。

「F1はチームスポーツ。チームは周りへの感謝がないと円滑に進まない」(左近)

間野:アスリートとしてのそういった活動は、今からでも十分できると思いますよ。今までのお話の中で僕が非常に興味があるのは、チームビルディングについてです。多くのメカニックやエンジニアなどがいる中で、どうやってチームを作っていったのか。主役のドライバーとして、どういう対応をしてどういう貢献をしなくてはいけないのか。そこについてぜひ教えてほしいです。

左近:先ほど、失敗してF1ドライバーになるのが2年遅れたと言いましたが、その理由がまさにチームビルディングの失敗なんです。19歳で初めてヨーロッパのチームに行ったのですが、「絶対にここでチャンスをつかんでF1に行く!」という意気込みが先行しすぎてしまった。チーム内でのコミュニケーションが上手く取れなかったのです。前年まで順調にキャリアを積んできたので「ここで失敗するわけにはいかない」というプライドが邪魔をして、足下をしっかりと見れなかった。それが失敗を生み、チームの人間関係が悪くなる。すると車のセッティングに支障が出て遅くなる。すると速く走ろうとするので無理が出る。無理が出るとミスをする、クラッシュする…そういった悪循環に陥ってしまった。レーシングドライバーとしての自信をすべて失い「もうこれ以上レースはできないかもしれない」と思いました。

間野:厳しい経験だったのですね。

左近:2年後日本に帰り「もう1年だけ自分の納得できる環境でやって、ダメだったら辞めよう」と腹を決めましたね。そして徐々にコンディションを整え、自信を取り戻し、勝つことができました。その翌年の鈴鹿で、テストドライバーという形、サードドライバーですがF1に初めて乗ることができ、今までの自信よりさらに太い幹を作ることができました。

間野:その時に、かつての失敗をどう生かしましたか。

左近:鈴鹿の翌年にF1ドライバーとして再びヨーロッパに行った時は、人間関係を非常に大事にしましたね。確かに自分の思いは伝えなくてはいけないけれど、相手は相手で立場がある。相手の今までのレースの哲学があるので、そこを否定することをしても何も生まれないとわかった。前回の失敗は、お互いのプライドがぶつかり合ってしまったことが原因でした。そのため、二度目のヨーロッパではチーム内での対話を重視。相手のやり方を尊重し、勝つためにはどうしたらいいのか、という生産性の高いコミュニケーションがしっかり取れたので、納得のいくレースができました。

間野:結局は対話や人間関係といった、ベーシックなところに落ちていくんですね。

左近:F1はドライバー1人が注目されがちですが、関わる人は大勢います。結局はチームスポーツなんです。メカニックがいてエンジニア、彼らをまとめるマネージメントがいて、さらには調理師やケータリングなど100人近くが20カ国を動く。人間関係が険悪になったら絶対に上手くいかない。ドライバーの役割は、みんなが作り上げたものを結果に持って行くことです。つまり、みんなの努力を生かすも殺すも僕次第。周りへの感謝がないとチームは円滑に進んでいかない、ということを学びました。

「環境も福祉もつながっている。それをメッセージとして伝えてほしい」(間野)

間野:ところで昨年のフォーミュラEの経験を今後、さわらび会に対してどのように生かしていきますか。

左近:正直、あれほど悔しい思いをしたのは久しぶりで…。事業をやっているだけでは、なかなかできない経験でした。マネージメントの立場を離れて、あらためていちプレーヤーとしてレースを走ったことで、自分が今マネージしているドクターやナースというプレーヤーの気持ちがあらためてわかった気がしました。フォーミュラEを通じて、経営者もいちプレイヤーであるべきだ、という思いが強くなりました。

間野:積極的にやりたいことをやっていくべきだし、枠にとらわれない生き方をしていくべきですね。

左近:フォーミュラEを経験した時に、まだまだ自分もやれることがたくさんあるな、と気づかされた。それが一番大きいですね。僕にとってはさわらび会という事業をもっとやっていきたいと思ったし、まだできることがあると思った。

間野:このキャリアを持っている人は世界でも左近さんしかいない。そこを突き抜けないでどうするんだ、と思います。さわらび会とフォーミュラE。それぞれがそれぞれにいい影響を与え合うようにしなくてはいけませんね。モータースポーツの中で、フォーミュラEは環境問題と密接に関係してきます。環境と福祉は現代的な課題の両輪。『みんなの力でみんなの幸せを』という考えはエネルギー問題にもつながります。この二つの課題を同時に解決していこうという考えは、トップアスリートのキャリアとして多くの人の参考になると思います。

左近:あらためて、ここから日本が変わっていく中で僕ができること、僕ならではの役割とは何でしょうか。

間野:メッセンジャーでしょう。環境に携わる人は環境のことばかりを考えている。福祉の人は福祉だけ。でも実は、環境も福祉もつながっている。それをメッセージとしてぜひ伝えてほしいと思います。左近さんには、それだけの発信力がある。

左近:先日、2017年にフォーミュラEが自動運転のロボットレースを行うという発表があったんです。今後はそちらにも携わっていきたいと考えています。これだけ新しい技術革新が生まれるものはないと思うので。

間野:モータリゼーションの発展は今後、電気自動車そして完全自動運転化の方向に進んでいきます。3年のブランクを経てフォーミュラEに参戦したことは、たぶん天命のようなもの。電気自動車の未来を作るフォーミュラEの最先端の技術開発に携わっていくのは、きっと福祉に深く関わっている山本左近さんにしかできないことだと思います。

左近:一見、無関係に思える福祉と環境。それをつなげていく一つの横串になれたらいいですね。今後何ができるかを、これからも考え続けていきたいと思います。今日はその大きなきっかけになりました。ありがとうございました。

間野義之(まの・よしゆき)
1963年横浜市出身。1991年3月 東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。
現在、早稲田大学スポーツ科学学術院教授。
研究分野:スポーツ政策論。マクロでは政府(中央、地方)のスポーツ振興方策。ミクロでは、スポーツクラブ、スポーツ施設やスポーツ組織のビジネスマネジメント。
座右の銘:やる気こそ、人生の宝なり。
2011年6月、一般社団法人日本アスリート会議を発足。代表理事(理事長)を務める。
主要著書:『スポーツの経済学』池田勝・守能信次編著、杏林書院、1999(分担執筆、執筆幹事)、『スポーツの統計学』大澤編著、朝倉書店、2000(分担執筆)

早稲田大学スポーツ科学学術院 間野義之ゼミ スポーツ政策研究室  http://www.manosemi.net/
一般社団法人日本アスリート会議  http://www.jathlete.jp/

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