医療法人さわらび会 創立55周年記念対談
(聞き手・進行 山本左近統括本部長)
文=小川裕子 写真=長谷良樹
左近:長谷川先生も山本理事長も、40年以上、認知症に関わっていらっしゃいます。40年前というと、認知症は「痴呆」と呼ばれていて、医療の 本流ではなかったかと思うのですが、認知症に取り組むきっかけは何だったのでしょうか。
長谷川和夫(以下、長谷川):私が認知症に取り組むようになったのは1960年代です。当時、私は慈恵医大に勤務しておりまして、新福尚武教授のもと、東京都内の高齢者用の施設にいる認知症患者さんの数を把握しようということになりました。ところが、患者さんが認知症かどうかを見分ける"ものさし"がない。あの頃は認知症は精神科医の領分で、精神科医が「認知症です」と診断したらその患者さんは認知症になるという、そんな時代だったんですね。そこで新福教授から「ものさしをつくりなさい」と指示を受けまして、認知症患者さんの診療経験がある精神科医への聞き取りをもとに"ものさし"をつくりました。それが「長谷川式簡易知能評価スケール」です(以下、長谷川式スケール)。60年代からつくり始めて学会に発表したのが1974年ですから、随分と時間がかかりました。
左近:山本理事長は同時期の1973年に「認知症介護の三原則」を提唱されましたね。
山本孝之(以下、山本):認知症介護の三原則は「いつも暖かい愛情と笑顔で」「決して叱らず、制止せず」「今、できることをしていただく」です。当時、病院にいらっしゃった認知症患者さんたちを観察し、良くなられた症例から、ケアするときの重要なポイントをまとめました。 私はもともとは脳卒中で倒れた患者さんのリハビリに力を入れていました。しかし、認知症の患者さんの増加を肌で感じ、認知症を生涯の課題にしようと決めたのです。それからは、認知症というつらい病気を患った患者さんを幸せにしようと、症状を改善する方法を見つけようと必死でした。「認知症は改善しない」というのが当時の常識でしたから、批判もたくさん受けましたよ。
左近:近年、認知症患者さんの急増により、どのようにケアしたらいいのか悩んでいる方がたくさんいます。特にご家族の苦労は計り知れません。こうした現状に対してどのように感じていらっしゃいますか。
長谷川:日本人一人ひとりが、認知症という病気への理解を深めることが大事だと感じています。例えば、長谷川式スケールをはじめとする認知症の診断テストの結果は100%正しいのかといえば、そうではありません。長谷川式スケールの得点だけ見れば認知症が疑われるのにもかかわらず日常生活にまったく支障がない人もいれば、逆のケースもあります。個人差も大きいですし、調子がよいときもあれば悪いときもある。そうした知識がないと患者さん一人ひとりに合ったケアを提供できないし、患者さんを尊重することもできません。診断テストも、本人とご家族にきちんと許可をとってからやるべきです。患者さんをないがしろにしては絶対にいけません。
あとは、子どもたちへの認知症教育も必要ではないでしょうか。例えば子どもでも認知症について理解できるような絵本を読んであげるだけでも違うと思いますよ。
山本:絵本のアイデアはいいですね。私も理解することはとても大切だと思います。認知症を発症すると家族の顔も忘れ、身の回りのことすらできなくなります。でも、だからといって、その人の人間性が損なわれたわけではない。風邪を引くと熱や咳が出ますね。認知症になってものを忘れるのも、おもらしをするのもそれと同じでただの病気なんです。認知症の方が最期まで人間らしく、その人らしく生きられる社会が早く実現すればいいと強く願っております。
長谷川:おっしゃる通りですね。
左近:ご家族へのケアについてはいかがですか。
長谷川:とても重要です。認知症というのは息が長い病気です。発症してから看取るまで10年以上かかることもあります。家族だけで対応するには限界がある。それなのに、周囲は「あの人は介護で大変だから……」と距離を置いてしまう。患者さん本人を含め、患者さんを抱える家族を孤立させない絆づくりが必要だと感じています。また、独居老人が認知症になったときにどうやって支えたらいいか。課題は山積みです。
左近:老老介護や独居老人は今まさに社会問題となりつつあります。そうした問題を解決する手段の一つとして、山本理事長は福祉村をつくったわけですが、それに対して長谷川先生はどうお感じになりますか?
長谷川:福祉村は素晴らしいですね。このような場所があれば患者さんはとても安心ですし、症状も安定しますよね。同じ立場に置かれた人同士、互いに助け合うこともできます。
山本:そうなんです。福祉村では、認知症患者さんは助けてもらう側でありながら、同時に、誰かを助けてあげる側にもなれるんです。
左近:これまでたくさんの患者さんと接してこられたと思いますが、忘れられない患者さんがいらっしゃったら教えていただけますか。
長谷川:アルツハイマー型認知症を発症したある男性患者さんのことは、今も忘れられません。その患者さんは84歳と高齢で、認知症の症状もかなり進んでいました。私が「イスにおかけください」と言うと、背もたれのほうに座ろうとする。対象との距離がわからなくなってしまっているんですね。その患者さんが「なぜ私が認知症になったのでしょうか」と聞くんです。そこで、同席していた別の医師がアルツハイマー型認知症の発症の経緯を説明すると、「そんなことはわかっています。私が聞きたいのは、ほかの誰かではなく、なぜこの私が認知症になったのか、ということです」と怒りながらおっしゃる。それは神様に対する抗議でした。どう答えるべきかとても悩みましたが、私が彼の立場だったら同じように感じただろう、と共感しました。そこで何も言わずに彼の手を握り、深く頷いたんです。その人は私の握手を受け入れて、黙ってお帰りになりました。このときのやりとりは今も鮮明に覚えています。
山本:私の場合は、自分の手で特別養護老人ホームをつくることを決意させてくださった患者さんがいます。当時私は、病状がよくなり自立できるようになったら退院し、ご自身の力で生活することが一番だと信じておりました。ですが、すっかりよくなって退院されたはずのある男性が、ほどなく病院の近くのアパートの自室で、死後数週間も経ってから発見されたのです。彼は身寄りがなかったため、誰にも看取られることなくお亡くなりになりました。
私は、一人暮らしの高齢者を退院させることの難しさを知っていながら、その方の健康を守る援助を的確に行わなかった自分に全責任があると厳しく反省しました。そして、二度とこのような事を繰り返さないと、その男性のご霊前に固く誓ったんです。私にとって大変ショックな事件で、大きな転換点になりました。
左近:長谷川先生が以前、「認知症患者さんが暮らしやすい社会は、障がい者の方にとっても暮らしやすい社会である。だから、私たちは認知症患者さんが暮らしやすい社会をつくるべきだ」という趣旨のお話をなさっていて、とても感銘を受けました。誰もが暮らしやすい社会をつくることは急務です。では、そのために何をしたらいいのか。最後にアドバイスをいただけますか。
長谷川:イギリスの心理学者トム・キットウッド教授が提唱した「パーソン・センタード・ケア」というメソッドがあります。このメソッドでは、認知症患者さんを中心としたケアに主眼が置かれていて、これからの認知症ケアに大変有効だと感じています。
連携においても、中心に据えるべきは患者さん本人です。医師や看護師、介護士といったプロだけが連携しても仕方がない。まずは、患者さん本人を中心とした家族や地域の人たちの絆を育んで、一般の人たち同士が連携できるようにしなくちゃ。プロはそのお手伝いをする。それが本当の連携ではないでしょうか。
山本:私は、人が幸せを感じるのは、「自立して自由に生き、今自分のできることで、周りの人の役に立つ働きができる時」だと考えています。認知症患者さんにも、この条件が満たされた幸せな人生を送ってほしい。「みんなの力でみんなの幸せを」が福祉村のモットーですし、とりわけこの「みんなの力で」という意識がとても大切だと思います。
左近:40年以上、認知症と向き合ってきた長谷川先生と山本理事長のお話からは、「認知症になっても人間らしく、その人らしく生き続けてほしい」という強い思いが感じられたと同時に、たくさんの学びと気づきがありました。今日は貴重なお時間をいただき本当にありがとうございました。
対談をおえて - 山本左近統括本部長より -
認知症医療におけるパイオニアお二人の対談から、認知症になってもその人らしく最期まで幸せに生きる道すじのようなものを見つけられるのではと思い、司会進行を務めさせていただきました。私が何より嬉しかったのは、福祉村のことを「このような場所があれば患者さんはとても安心ですし、症状も安定します」と、長谷川先生にお褒めいただいたことです。パイオニアお二人から受け取った認知症医療のバトンを次の世代へ、さらに世界へと受け継いでいくことが、第二走者である私たちの務めだと思いました。
出展
医療法人さわらび会55周年記念特集いわばしる第3回