私の父・山本孝之が、名古屋大学医学部の同窓生であり、同大学教授であった柴田先生から、日本の医療の力によって、インドの恵まれない人たちに医療を施すことができないか?
という提案をいただいたのが1987年のことでした。当時はバブル絶世でしたが、父は、お金儲けをするだけの世の中はおかしいし、恵まれていない人たちがいるのであれば、「みんなの力でみんなの幸せを」という理念に基づいて、すぐに病院の建設委員会を設置しました。そこから募金活動をスタートさせ、クシナガラに土地を持っているインドの方に、その土地を寄付していただくことができました。日本の方が現場で建設の指導をしてくださったこともあり、1997年の起工式からわずか1年ほどで基礎のしっかりした建築物を作ることができ、1998年に「アーナンダ病院」が開設しました。
* 詳しくはインド福祉村協会のウェブサイトをご覧ください。 http://iwvs.jp/
アーナンダ病院の運営はすべて寄付でまかなわれており、診療は無料です。以前は薬代も無料でしたが、処方された薬を飲まずに転売する事例があったこともあり、現在は薬代、検査代は実費となっています。アーナンダ病院から100mほどのところには、インドのカースト制度でいうところのアチュート(不可触民)の村があります。アチュートとは、4つあるカーストの分類に属さないアウト・カーストの人々で、インドには1億人ものアチュートが暮らしています。この村に限らず、これまでお金がなくて病院に行けなかった人々が遠くからも病院に通っています。噂を聞きつけ、人々が集まるようになったことから、近くを走る幹線道路に飲食店などが集まるサービスエリアができたり、安心、安全をもとめて病院の近くに移住したりする人も増えたといいます。
開設からずっと診療を続けてくれているのが、院長のドクター・グプタです。1日に70〜100人の患者を診ています。もともとゴラックプールという村の大学病院に勤めていたドクター・グプタですが、「みんなの力でみんなの幸せを」というアーナンダ病院の理念に共感していただき、開設より17年間診療を続けてくれています。
今回の旅で、彼の同級生たちにも会いました。彼の同級生は大学病院で勤務を続け、現在ではそれぞれの専門で教授になっています。グプタはもともと小児科の専門だったので、そのまま勤務を続けていれば彼も小児科の教授になっていたことでしょう。グプタ含め、同級生たちの会話で強く印象に残った言葉がありました。
「僕らはグプタよりもお金があり、名誉があり、地位もあるけど、彼のほうが幸せそうなんだ」
彼らは、グプタの現在の仕事をよく理解し、強く尊敬しているように見えました。同時に、ドクター・グプタと出会えたことが現在もインド福祉村病院を継続できているもっとも大きな要因だと感じました。
現地の滞在時間は3日間と短いものでしたが、そこには、何百年も前にタイムスリップしたかのようなインドがありました。日本からわずか24時間でこのような世界が待っているのです。
こういった世界を目の当たりにして日本の生活を考えると、私たちは「便利になればなるほど、生きることと死ぬことの両方を排除し続けている」ことに気がつきました。身近なところでいうと、クシナガラでは牛糞を壁の材料にしたり肥料にしたりといろいろなものに利用していますが、牛の糞が東京の真ん中に落ちていることはありません。人間はじめすべての動物は食べて出すことによって体を巡らせていますが、私たちは公衆衛生を保つ目的もありますが、用を足したらボタンひとつで目の前から消し、あたかもなかったかのようにすることができます。もちろん人間として体はきれいでいられるし、病気にもなりにくいという利点があります。でも、果たしてそれでいいのでしょうか? そんな考えが頭をよぎりました。
また、インドで見てきた人たちは、お金はなくても幸せそうということも特徴的でした。家族で食卓を囲み、農作業をし、子供たちは学校へ通うという変哲もない生活ですが、とびきりの笑顔を見せてくれました。アーナンダ病院に来る患者さんでさえ、いい顔をしています。クシナガラには、日本のように家族や地域との縁をなくした結果陥る、孤独死や若い女性、子供の貧困といった「心の貧困」は私の見た限りありませんでした。お金はなくても家族、地域の縁はあるのです。もちろんのこと、もっと長くいれば様々な課題が見えてくるのかもしれませんが。
2015年6月、私はこのインド福祉村病院(アーナンダ病院)の理事長に就任しました。今後この病院を運営していくにあたり、インドの恵まれない人に医療の機会を提供していくのは当然ですが、日本の人たちにこの活動を知ってもらうことによって、日本社会が今抱えている問題の解決の糸口が見つけられるのではと考えています。キューバのレポートでも書きましたが、今の日本は先進国よりも、キューバやインドのような発展途上国から学ぶべきことがあるのではないかと思うのです。これからも、日本の学生をはじめさまざまな人々にこのアーナンダ病院を実際に見てもらうことや、ボランティアに参加していただくといった活動を続けいきたいと思っています。
自分の生活では考えられないような生活をしているところに、24時間でいける場所でリアルタイムに存在しているのが地球です。また、そういった場所に足を運べる環境にあるのが、私たち日本人です。日本国内にいると視野が狭くなりがちですが、このような場所に一度身を置いてみると、今までとちがう視野ができます。それによって、これからの日本に何が必要なのか? そういったことを考える人々が増えることによって、私たちインド福祉村の活動が、インドだけでなく日本へのフィードバックになると考えています。